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2005年06月16日

父・・4

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        (昨年の6月23日三室戸寺の蓮です)

父は幼い頃に 両親が離婚し
継母と そりが合わず 故郷を離れ大阪に来たという
戦争を体験し 中国で終戦を迎え
勤めていた会社の倒産を 経験し



人に 幾度も騙され
保証人となり多額の負債を 抱え込まされ
家出を 繰り返し 自殺未遂を 繰り返し
病気で 数十回の入退院を 繰り返し
何度も 生死をさまよい
と80年の人生の中に 様々なことがあったであろう
私の記憶に 残る限り
会社が 倒産したあとの父に 華やかな時代はない
父が勤めている姿は ほとんどなかった

ある日、母は まだ小学生だった私たちに
家出して 帰ってこない父を
「 あんなお父さん、もういらないね。 」と吐いた
私たち姉妹は 何も言えず
その夜 父の枕を抱いて 泣いていた覚えが ある

気分のいい日は
趣味の多い人で こまごまと動いていたが
そうでない日々の方が 多くあり
1日中布団を頭から かぶって寝ている 父の姿は
何十年と 亡くなるまで続いた
「 早くお迎え 来て欲しい 」、や
「 棺おけに 片足突っ込んでいる 」 が父の口ぐせだった
中学生の頃から それを聞き続けていた 私は
「 棺おけ、いつまでも引きずっていたら重たいやろ? 
 そろそろ突っ込んでる足 抜いたらどう?」 なんて
よく冗談交じりに 言ったものである

おそらく小、中学生の頃からか
家出、自殺未遂と逃げを 繰り返す父を見て
私たち姉妹の中では 父は 傷つけてはいけない人
守ってあげなきゃいけない人に 変わっていったように思われる
母もこの後から 入退院を繰り返し
父自身も 入退院を 繰り返し
みんな自分のことに 手がいっぱいで
私たち姉妹は 自分達だけで 生きていかなければ
ならない事になるかもしれないと
悲壮な決意を したものである
今思えば みんな家族それぞれが
淋しい思いを していたのかもしれない

晩年の父は
子供が 母親を 頼るように一回りも下の母を
「お母ちゃん、お母ちゃん」と慕っていた
何があろうとも 父を責めることなく
現実を そのまま受け入れ
それを支え続けた母に 大いに感謝していた筈だ

父からこれと言って 人生訓みたいなものを
押し付けられたことがない
家族の柱としては あやうげな人だったが
でも 父の生き方そのものが
何かを 教えてくれていたのかも知れない
人を謗ることなく 人を羨むことなく
人と比べることなく 人から感謝を 望むことなく
誰かのために何かをしても それを恩に着せることなく
自分を 押し付けることなく
お金や名声や そんなものに縛られることなく
淡々と生きていた
そして父の毎日を見て 『 生きる意味 』 を考えさせられた

父が逝ってすぐは
果たして 父の人生は幸せ、と呼べる物だったのか?と
思えたりもしたのだが
自分の好きな事に 一生懸命になり
ある意味、自分の思い通りに過ごしていた父は
幸せかもしれない と思えるようになってきた

PS.
この文章を載せるのは やはり止そうかと考えました
父の語られたくない部分だと 思ったからです
でも私にとって これも含めて全てが父で
こうして語ることで 父の存在を改めて思うのです
私が想い出の中の父で一番多いのは 
残念ながら寝ている父です
幼い頃、若い頃は そんな父を 理解出来ませんでした
今で言えば 引きこもりに 近いものなのでしょうね
心が 病んでいたのかもしれません
父も 辛かっただろうと思います
この年になって 少しでも父の心情を量ろうとしています
父の日のプレゼントには ふさわしくない文章ですが
父を 思い起こすために 書かせていただきました
お付き合いくださって 有難うございました



ako_hitotoki at 20:48│Comments(23)TrackBack(0)想い出 

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この記事へのコメント

1. Posted by たくのり   2005年06月16日 21:15
akoさん、こんばんは。お父さんを、こんなに優しい目でみつめて、理解してあげている・・・これは、素晴らしい、父の日のプレゼントになると思います。
2. Posted by LuckyBook   2005年06月16日 22:10
どのようなお父さんでも、全てがako.さんのお父さんですね。このようにako.さんが、大切な気持ちを出したことをきっと喜んでいると思います。また、このように娘に思われるお父さんが羨ましいですね。自分の娘がどのような目で見ているのか、心配になります。
3. Posted by あここ   2005年06月16日 22:35
とても、器用な方なのに 不器用に生きておられたのですね私の父も器用に出来ないひとでした。ako.さんのおかげで今日も父を沢山思い出しましたよ[E:smile]
4. Posted by ホランナビ日記の宿六   2005年06月17日 08:42
・・・なった証拠でしょう。父を語る事により父の人生を整理して、残された家族と自分の人生との接点をどうしても一度整理して置きたかった大人になった今だから、今だったら冷静に語れる。だから、書いて置きたかったそしてakoの気持ちを誰かに話したいブログの仲間に開示する事によりako の心が納得できるなら・・・私にはそう読みました。
5. Posted by happy field   2005年06月17日 11:07
しっとりと・・・・ただ黙祷・・・ako.さんって、ホント、良い人だわぁ・・・^^
6. Posted by 忍人   2005年06月17日 14:49
ako.さんのお父さんは、身をもって人の表と裏の両方を見せて逝ったのだと思います。お父さんを通してako.さんが何を感じたか、それが大事だと思います。ako.さんのお父さんへの思い、感じます。拓郎の、おやじの唄を思い出しました。おやじが、すべてだなんていいませんよお〜♪うたったげよか、、、その前に練習、いやその前にギター[E:smile]もうすぐ新しいギター来るんだ!何年ぶりだろうか、、、ごめん、はなしそれてもた、、、[E:shine]
7. Posted by ako.   2005年06月17日 20:00
有難うございますm(__)m載せてから やっぱり載せるべきじゃなかったかと思っていましたいい娘ではなかったけれど今頃になって父を理解しようと思っています
8. Posted by ako.   2005年06月17日 20:05
この年だから こんな風に考えられるようになったのです学生時代は 哀れという感情で見ていたような気がします娘さんたちの憧れるお父さんでいて下さいね[E:smile]
9. Posted by ako.   2005年06月17日 20:09
器用貧乏という言葉がぴったりだと思います父を見ていて何かを作る喜びや映画の面白さを学びました[E:smile]1日中寝ているのを罪悪感に思えるのも父を見ていたからかもしれませんが・・[E:sad]
10. Posted by ako.   2005年06月17日 20:14
書くことで 皆に読んで貰うことで自分を納得させたかったんでしょうね自己満足の世界ですが・・父は人生の半分を人知れず過ごしたように感じていたから ここでお披露目してこんな人もいたんだぞ〜って言いたかったのかもしれません[E:smile]
11. Posted by ako.   2005年06月17日 20:18
いい人・・では ありません[E:sad]父の生きている間にもっと話しておけばよかったと悔やみます淋しかっただろうなぁ、と今になって思います
12. Posted by ako.   2005年06月17日 20:23
そうですね私が見たのは裏の方が多かった様ですがいろんなことを教えてもらった気がします。ギター買ったんだ!すご〜い!是非聞かせてもらいましょうブログで送って?ね、歌声・・[E:smile]
13. Posted by happy field   2005年06月17日 22:53
ako.さんは、今時珍しく、真っ正直な良い人です。己の愚かさをきちんと認識できる繊細な優しい人です。人の痛みに共感でき、人の幸せを見守れる暖かなな人です。きっと、もっと、私の知らないデリケートな部分がいっぱいいっぱいある人です。ガラスのように透明で、光りを受け止め人に反射させるキラキラと派手でない光りを放出する人です。壊れ易いけれど、丁寧に扱えば、時代を越えて貴重と想わせる人です。あなたは・・・・素敵な女性です。^^
14. Posted by ako.   2005年06月18日 01:52
そんなに褒めてもらったら(〃⌒∇⌒)ゞヘヘッ照れるじゃないさ・・でもね 自分の愚かさは自分が一番よく知ってるでしょするとね 誰も責めれないし誰も恨めなくなってしまうじゃ自分はどうなんだって思うからね全て 自分に置き換えて考えるとその人が喜ぶ顔が見れたら嬉しいしその人が悲しんでるのみたら辛くなるhappyさんも一緒でしょ?ただ 変なところだけ父に似てどこか線の細い所があるかも知れない普段はそれを大きく見せようとしてるけれど・・それも滑稽だよね[E:smile]
15. Posted by 銀次郎   2006年09月08日 07:30
父が亡くなって30年近くなる当時、7歳だった長男に「おじいちゃんの病気が治るようにお願いしようね」と言って励ました父は癌だった。病院嫌いだったので食べ物が喉を通らなくなって近所の病院へ・・・・紹介で吹田の病院に行った時にはベット待ちベット待ちやから大した事ないよ!と家族で話してたところが・・・入院後医師から余命3ヶ月と宣告を受ける父の前では元気に振る舞った結婚が早かった私は父と一緒に飲む事もなかった私が結婚してホッとしたらしい父の願いは私が早く結婚する事だった男性との付き合いを心配してたのかもね(清い交際なのに)うちの父は遊び人で女遊びをしてたらしい私には厳しくて優しい父だった母(76歳)曰く「あんた(銀次郎)は、お父さんソックリや〜」と顔も手足の指も性格もソックリソックリだから母は私が浮気をしないか?と心配みたい心配しなくて良いよ〜〜私は浮気じゃなく好きになれば本気だから〜〜♪ヽ(^o^)丿な〜〜んて言ったらひっくり返るやろうなぁ〜[E:smile]
16. Posted by ako.   2006年09月08日 21:01
お父様 早くに亡くされたんですね・・みんな それぞれ 父への思い ありますね昔の父親は 随分 娘と 距離があったような気がしますね今は 友だち親子が 多いですが・・あまり 父と話した記憶がありませんもっと 色々 話 聞いておけば 良かったなぁって>私は浮気じゃなく好きになれば本気だから〜(’-’*)フフ・・それは いい事なのか? 困った事なのか?[E:wink]
17. Posted by 銀次郎   2006年09月09日 08:10
不倫は男の特権のように思ってる人がいる私の周りは「不倫」の花盛り黙っていれば誰も知らないのに嬉しいのか?自慢なのか?私に話してくれる20年近く付き合ってる人もいるそしてお互いに離婚はしているものの子供を傷つけてる人浮気をしてる男の人に聞いてみた「もし奥さんが浮気したら、どうする?」返事は決まって「(俺の女房は)そんな事をしない」「浮気なんて出来る女じゃない」だったそれっておかしくない???アンタの相手も人の奥さんよ!自分の相手は人妻なのに自分の女房は浮気しない???男の身勝手な言い訳としか聞こえないまた奥さん公認で近所の人妻とメール交換してる男がいるこの男は回りに「女房と離婚したい!」と吐いていた子供が出来ないらしく夫婦関係もないと皆に言ってるバカな男私が「いくら奥さんが許しても人妻やろ!」と牙を剥いたとき旦那は「家庭を壊さなければ不倫して良い!」夫婦の問題に口を出すな!と怒鳴る。奥さんは「良いねん」と言う。二人が良いんなら夫婦の問題だから何も言えない男にとっては遊びの1つ女が本気になれば重荷になり遠ざかる。そして家庭に戻る「最後は女房のところに戻る」そう言った男もいたこれが浮気男の本心やろうね子供が遊び疲れて家に帰るような・・・・
18. Posted by ako.   2006年09月09日 22:17
あら、あら 不倫の花盛りですか?困りましたね私も 勤め始めた会社では 周りに たくさんいましたいいお勉強になりましたよ私も いろんな不倫 見せてもらいました[E:wink]不倫にも 色々あるでしょうね男と女 色んな思いが あるでしょう本気がある男も女もいれば気休めの男と女もいる何がいいのか 悪いのか・・本気で相手を好きでも お金がない限り 奥さんと別れることも 出来なかったりね・・それぞれの夫婦には 夫婦の考えがあるんでしょうね男と女 単純だけれど 難しい
19. Posted by 銀次郎   2006年09月10日 16:28
「火の粉」が飛び散らないように相談を受け私の言葉で喧嘩したり別れたりする事もある責任問題になっても困る「訴えてやる〜ぅ!」とテレビに出されても困る[E:smile]相手はどうせ誰かに話したくてムズムズしてるだけやもん私にだけ話してる真剣な話なら、こちらも真剣に受けるけど「内緒にして欲しい」と言いながら自分は他の人に言いふらしてる[E:angry]「誰にも言ってない」とか「ここだけの話」に真実性はないそんな人の話に真剣に私が悩む事はない適度に相槌を打ち助言・意見は控え目に・・・・「そんな事したらアカン!」と言った所で無駄やしモテない私が嫉妬してる!と思われるのも憤慨や  ↑(当たってるけどさぁ〜)[E:smile]
20. Posted by つかさ   2008年06月17日 00:54
お父様の事、読ませて頂きました。私は、病弱では有りませんが、貴女のお話から、貴女のお父様に自分と同じ匂いを感じました。私が小3の時、万引きと間違えられた事がありました。当時の私は、学業成績が悪い子でした。(今も決して、利巧とはいえませんが・・・。)この学校の成績が、両親にとっての良い子悪い子の尺度でした。してもいない、万引きの濡れ衣に、両親は味方してくれませんでした。取った物と決め付けて、否応無くしかられました。両親は、私を、自分の子供を、信じてくれませんでした。鍵っ子も有りましたから、両親の目の届かない所も有ったと思います。しかし、貴女のおっしゃった、「親にとって子供は、何時までも子供」と言う意味でなく、親にとって、私は、知恵の遅れた子と言った感覚だったと思います。そう言った、両親の感覚から来る発言で、親戚中からも疎まれて居ます。世俗的に男性は、やはり、オスです。私にもオスとしての闘争心があります。何も、真実を知らない人々から、馬鹿にされたくない物です。少なくとも、3流とは言え大学と言う名の付く物も出ております。増してや、私と変わらぬ3流大学を5年行った兄に、馬鹿にされたくも有りません。取り留めの無い話になりますので、ここまでにさせて頂きます。愚痴話で、ごめんなさい。
21. Posted by ako.   2008年06月17日 07:10
いろんな家族のあり方が ありますね子供の頃のその様な体験は 辛かったでしょうねでも 今つかささんは ちゃんと自分の考えも持ちこうして生きていらっしゃいますあなたを 疎んじる方たちそういう尺度でしか物を考えられない方たちの事はほっておきましょうそんな事で 煩わされていても つまんないですつかささんの事を ちゃんと理解してくださる人たち 支えてくれ人たち大勢 いらっしゃる事と思いますそういう方達 大切にしてくださいね人は 時に愚痴りたくなるものです
22. Posted by つかさ   2008年06月17日 09:25
akoさんへありがとう。私だけでなく、貴女も、色々、お有りになった様だのに、私と来たら、自分の事だけですね。気が回らないと言うか、やっぱり、馬鹿なんですね。
23. Posted by ako.   2008年06月17日 20:58
つかささんは そんなことないですよきっちり 自分を分析なさる事できますもんたまに こうして誰かに ポロリと言いたくなるだけです人間そんな部分 みんな持っています[E:smile]

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