2005年06月16日
父・・4
人に 幾度も騙され
保証人となり多額の負債を 抱え込まされ
家出を 繰り返し 自殺未遂を 繰り返し
病気で 数十回の入退院を 繰り返し
何度も 生死をさまよい
と80年の人生の中に 様々なことがあったであろう
私の記憶に 残る限り
会社が 倒産したあとの父に 華やかな時代はない
父が勤めている姿は ほとんどなかった
ある日、母は まだ小学生だった私たちに
家出して 帰ってこない父を
「 あんなお父さん、もういらないね。 」と吐いた
私たち姉妹は 何も言えず
その夜 父の枕を抱いて 泣いていた覚えが ある
気分のいい日は
趣味の多い人で こまごまと動いていたが
そうでない日々の方が 多くあり
1日中布団を頭から かぶって寝ている 父の姿は
何十年と 亡くなるまで続いた
「 早くお迎え 来て欲しい 」、や
「 棺おけに 片足突っ込んでいる 」 が父の口ぐせだった
中学生の頃から それを聞き続けていた 私は
「 棺おけ、いつまでも引きずっていたら重たいやろ?
そろそろ突っ込んでる足 抜いたらどう?」 なんて
よく冗談交じりに 言ったものである
おそらく小、中学生の頃からか
家出、自殺未遂と逃げを 繰り返す父を見て
私たち姉妹の中では 父は 傷つけてはいけない人
守ってあげなきゃいけない人に 変わっていったように思われる
母もこの後から 入退院を繰り返し
父自身も 入退院を 繰り返し
みんな自分のことに 手がいっぱいで
私たち姉妹は 自分達だけで 生きていかなければ
ならない事になるかもしれないと
悲壮な決意を したものである
今思えば みんな家族それぞれが
淋しい思いを していたのかもしれない
晩年の父は
子供が 母親を 頼るように一回りも下の母を
「お母ちゃん、お母ちゃん」と慕っていた
何があろうとも 父を責めることなく
現実を そのまま受け入れ
それを支え続けた母に 大いに感謝していた筈だ
父からこれと言って 人生訓みたいなものを
押し付けられたことがない
家族の柱としては あやうげな人だったが
でも 父の生き方そのものが
何かを 教えてくれていたのかも知れない
人を謗ることなく 人を羨むことなく
人と比べることなく 人から感謝を 望むことなく
誰かのために何かをしても それを恩に着せることなく
自分を 押し付けることなく
お金や名声や そんなものに縛られることなく
淡々と生きていた
そして父の毎日を見て 『 生きる意味 』 を考えさせられた
父が逝ってすぐは
果たして 父の人生は幸せ、と呼べる物だったのか?と
思えたりもしたのだが
自分の好きな事に 一生懸命になり
ある意味、自分の思い通りに過ごしていた父は
幸せかもしれない と思えるようになってきた
PS.
この文章を載せるのは やはり止そうかと考えました
父の語られたくない部分だと 思ったからです
でも私にとって これも含めて全てが父で
こうして語ることで 父の存在を改めて思うのです
私が想い出の中の父で一番多いのは
残念ながら寝ている父です
幼い頃、若い頃は そんな父を 理解出来ませんでした
今で言えば 引きこもりに 近いものなのでしょうね
心が 病んでいたのかもしれません
父も 辛かっただろうと思います
この年になって 少しでも父の心情を量ろうとしています
父の日のプレゼントには ふさわしくない文章ですが
父を 思い起こすために 書かせていただきました
お付き合いくださって 有難うございました